2011年2月25日金曜日

FD研究会を実施しました

事務室

政策学部・大学院政策学研究科設置事務室の栗田です。

 2011年2月23日(水)深草学舎において政策学部FD研究会を実施しました。

 「FD」というのは、ファカルティー・ディベロップメント(Faculty Development)の略で、簡単に言うと「授業内容や授業方法をより良いものにするため取り組み」です。

 学生の皆さんが学びを深め、読む力、書く力をはじめ様々な能力を身に付け、大学でしっかりと成長してもらうために、どのような内容(知識・機会)を提供すればよいのか、どのように教えると効果的なのかなどを話し合って学部の教育を創り上げていきます。

 今回は、特に基礎演習について議論しました。基礎演習は、大学における学びの基礎(レジュメの作り方、レポートの書き方、プレゼンテーションの仕方)を修得するとともに、併せて大学生活に上手く馴染んでもらうことを目指しています。基本となる科目であり、また、第一期生を迎えるということもあり、熱い議論が交わされました。



FD研究会の様子

 基礎演習は1年生で受講する科目で、各クラスとも20人ほどの少人数で行います。ディスカッションする機会が多く用意され、12月には合同討論会も行われます。その中で読む力や書く力や発表する力を身に付けていきます。1年次は、大学生活でも重要な時期ということもあり、勉強や大学生活における様々な疑問や課題に対して適切にアドバイスをするために、以前このブログでも紹介しましたが、クラスサポーターを各クラスに3~4名ずつ配置します。(2011年は法学部政治学科の2年生以上の学生が担当します。)

 4月の開設に向けて着々と準備が整いつつあります。入学式で新入生の皆さんとお会いできることを楽しみにしています!

2011年2月21日月曜日

首相の給与(4)~キャメロン首相の年俸は国立大学学長の半額以下~

坂本 勝

2009年、NPO 「調査報道協会」(Bureau of Investigative Journalism)が2400の公的組織を対象
に行った調査によると、年間給与額が10万ポンド(約1320万円:1£132円で計算)以上の幹部職
員は約3万8000人、20万ポンド(約2640万円)以上は約1000人に達し、キャメロン首相よりも高額
の報酬を受けている公的機関の幹部職員は、約9000人に達しているという。
(http://thebureauinvestigates.com/2010/09/20/public-sector-rich-list-9000-earn-more-than-the-prime-minister-2/)

イギリスでは、昨年11月イングランドの大学授業料の引き上げ案が発表され、大きな議論を呼んで
いる。その内容は、大学授業料の上限を現在の年間3290ポンド(約43万円)から同6000ポンド(
約79万円)に引き上げ「例外的な場合」に限り9000ポンド(約119万円)までの引き上げも可能とす
るが、年間6000ポンド以上の引き上げには、低所得家庭の学生の入学支援措置を大学が実施す
ることを条件とする、というものであった。

この発表を受けてスコットランドの大学においても、スコットランド出身学生の授業料無料化は継続
するが、イングランド、ウェールズ、北アイルランド出身の学生に対する現在の年間1820ポンド(
約24万円)の授業料を大幅に引き上げることが検討されている。

イギリスの大学は、University of Buckingham~政府の補助金を受けていない唯一の私立大学~
を除きすべて国立大学である。そのため、こうした大学授業料の引き上げを受けて、大学の学長
などの高額報酬が非難の的にされている。例えば、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの学長の
年俸は、37万6190ポンド(約4965万円)、リバプール大学の副学長の年俸は、34万3000ポンド
(約4527万円)というように、キャメロン首相の2倍以上の高額報酬が支給されている。

こうしたイギリスにおける「官高政低」の年俸の格差は、「政高官低」の日本の状況とは対照的である。
昨年5月のキャメロン内閣の発足から、一月足らずで政権を担当することになった菅首相に対して、
キャメロン首相の2倍以上の年俸に見合う働きを期待するのは酷だとしても、せめてイギリスの首相
並みのリーダシップを発揮して欲しいと期待したくなるが、細川首相から数えて17年間に首相が12人も
交代し、その在任期間が小泉首相を除き平均1年余という状況では、首相にリーダーシップを期待する
こと自体、不条理というべきかもしれない。

首相の給与(3)~菅首相の年俸はキャメロン首相の2倍以上~

坂本 勝

「幹部公務員の給与に関する有識者懇談会」の報告書によると、日本の首相の給与水準は
事務次官の1.7倍という基準と、従業員数500人以上の民間企業の専任役員のうち最も高い
報酬を受けている者の年間報酬の平均を目安に推移してきており、2004年3月現在、首相
の年間給与額(俸給月額、賞与等を含む)は4165万円、国務大臣の年間給与額は3041万と
なっている。

Civil Service Year Book 2004によると、ブレア首相の年俸(2004年4月現在)は17万8922
ポンド(約3400万円:1£190円で計算)~首相給与12万1437ポンド(約2307万円)と議員給
与5万7485ポンド(約1092万)~、閣僚の年俸は13万0347ポンド(約2477万円)~大臣給与
7万2862ポンド(約1384万円)と議員給与5万7485ポンド(約1092万)~となっている。 

また、Civil Service Year Book 2009によると、ブラウン首相の年俸(2009年現在)は19万4250
ポンド(約2739万円:1£141円で計算)~首相給与13万0959ポンド(約1847万円)と議員給与
6万3291ポンド(約892万円)~、閣僚の年俸は14万1866ポンド(約2000万円)~大臣給与
7万8575ポンド(約1108万円)と議員給与6万3291ポンド(約892万円)~となっている。

2010年、ブラウン首相は、国会議員の経費スキャンダルが相次いだことを受けて、自身の年俸を
19万7千ポンド(約2600万円1£132円で計算)から15万ポンド(約1980万円)に減額している。
そして、キャメロン政権が誕生すると、首相を含む全閣僚の年俸はさらに5%削減されることになり、
キャメロン首相の年俸(基本給与、賞与等を含む)は、2010年現在、14万2500ポンド(約1881万円)
という額になっている。

2004年当時の日英首相の年間給与額を比較すると、小泉首相の年俸(4165万円)は、ブレア首相
の年俸(約3400万円)の1.2倍の水準にある。総務省人事局によると、菅首相の年俸は、2010年現在
3928万円(給与月額206万円、地域手当18%、賞与2.95ヶ月などを含む)となっている。国家財政が
逼迫する中、日本においても、首相・閣僚の給与額は減額の方向に推移してきているが、それでも
菅首相の年俸は、現在の為替レートでキャメロン首相の年俸の2倍以上になっている。

首相の給与(2)~首相の給与は事務次官の1.7倍~

坂本 勝

戦後、昭和23年の時点で、首相の給与月額2万5千円に対して、神戸市長の給与月額は
2万円とほぼ同額であったが、昭和37年以降になると、両者の給与格差が拡大している。
平成2年の時点で、首相の給与は198万5千円、市長の給与は115万5千円、平成22年に
は、首相の給与は206万円、市長の給与は112万8千円となり、両者の給与格差はさらに
拡大している。しかし、戦前、叙勲等の扱いにみられた差別的な待遇格差は、神戸市長に
勲一等瑞宝章が授与されたことで、一応是正されつつある。

ところで、首相の給与水準はどのように決められるのであろうか。「幹部公務員の給与に
関する有識者懇談会」の報告書(2004年3月)によると、特別職の公務員である首相の給
与水準は、一般職の公務員である事務次官の給与を参考に決められており、事務次官の
給与のおおむね1.7倍とされている。これは、戦前の親任官である首相の年俸と勅任官で
ある次官の年俸額の格差を戦後もそのまま踏襲していると見られる。

2004年3月現在、首相の給与は事務次官の給与(130万1000円)の約1.7倍の222万7000円、
国務大臣の給与は、首相給与の7割強の162万6000円となっている。しかし、2010年の時点
では2004年以降の特別職俸給の減額による影響で、首相の給与は206万円、国務大臣の
給与は150万3000円、事務次官の給与は142万720円となり、首相の給与と事務次官の
給与の格差は、1.7倍を下回り1.45倍に縮まっている。

議員の歳費については、国会法第35条で「議員は一般職の国家公務員の最高の給料額より
少なくない歳費を受ける」と規定され、事務次官の給与よりも高額になっている。
これは、戦前の衆議院議員が、宮中席次で奏任官(課長級)と同等に扱われ、勅任官の次官
よりも低い地位に置かれていたことを意識したものと考えられる。

首相の給与(1)~市長は首相より高給だった~

坂本 勝

戦前、官公吏の給与は、現在のように労働の対価として位置づけられるのではなく、
官公吏の身分、体面を維持するために支給するという意味合いが強かった。
特に、官吏についてはその傾向が著しく、給与その他の待遇面でも、吏員との格差が
歴然としていた。親任官である首相と有給吏員である市長の年俸を比較すると、明治
22(1889)年5月に就任した神戸市の初代市長鳴滝幸恭の年俸1500円に対して、第2代
首相黒田清隆の年俸は9600円(初代伊藤博文も同額)、大臣の年俸は6000円であった。

しかし、その後の推移をみると明治期に歴然としていた首相と神戸市長との年俸格差は、
大正期に入ると次第に是正され、大正9(1920)年には両者の年俸は1万2000円で並び、
昭和2(1927)年には市長の年俸は2万円で首相の年俸をかなり上回っている。
昭和6年には、世界的な不況による緊縮財政の影響で若槻内閣が俸給令を改正した結果、
首相の年俸は9600円に2割減俸され、神戸市長の年俸も1万6000円に2割減俸された。

このように神戸市長の年俸額だけに注目すると(東京・大阪市長の年俸は2万円以上)、
市長の方が首相よりも高給であったが、叙位叙勲等の扱いについては大きな格差があった。
大正9年には、ようやく市町村長に叙勲の機会が開かれたが、一般の吏員はなお叙位叙勲
の対象から除外され、官吏と吏員との社会的待遇格差は非常に大きかった。

首相の年俸は昭和6年以降も増額されることはなかったが、有給吏員の神戸市長の年俸は
昭和9年以降2万円に増額され、終戦時も2万円であった。一方、終戦時の官吏の俸給は,
首相の年俸が9600円、国務大臣の年俸が6800円、各省次官の年俸が5800円という状況で
親任官である首相の年俸は、勅任官である次官の約1.7倍となっている。
戦前期の首相の年俸の推移をみると、終戦時の首相の年俸が明治18(1885)年の伊藤博文
首相の年俸と同額というのは、今日神話と化した井戸塀政治家のイメージを彷彿させてくれる。

2011年2月18日金曜日

英国調査にいってきました

的場 信敬

私たちは現在、京都府内の7つの大学や地域の自治体、企業の方々と協力して、地域の運営(公共政策)を担う人材のための新しい地域資格「地域公共政策士」のフレームワークを開発しています。多様化する地域の課題に対応するためには、どのような資質や能力を持つ人材が必要になるのか、私たち大学だけでなく学生の雇用主となる方々(自治体、企業)にも協力して頂き、新たな人材を育成し社会に定着させるようなしくみを考えてきました。ちなみに、大学が考える人材育成については、2010年11月24日の石田先生の記事も参考にしてください。

この京都発の地域資格を開発する上で参考としたのが英国のしくみです。英国では、日本の弁護士資格や医師免許のようないわゆるライセンス型の資格と共に、特定のスキル(例えばチームリーダーとしてのスキル)を証明するような資格が国レベル・地域レベル問わず数多く存在しています。先日、この英国のしくみを改めて調査する機会を得ましたので、今回はそのご報告をしたいと思います。

英国の資格フレームワークは、その構造の改革(大学資格〔学位〕と職能資格のリンク作り)がまず面白いのですが、今回はその構造改革の先に見据える社会改革について考えてみたいと思います。その社会改革のために英国が目指す資格システム像は次の2つに要約できそうです。

1) 雇用主と学習者のニーズを最優先に考えた資格・学習システム
2) そのための、より柔軟性の高い、短期間・小サイズの学びのシステム

まず1)ですが、英国の資格フレームワークの改革は、単なる教育・研修の改革にとどまらず、明確に「雇用」の再生を視野に入れています。英国は日本と違って終身雇用の習慣があまりありません。自治体、企業、そしてNPOも、職員がどんどん変わっていくわけですが、それだけに雇用主側としては、常に有能な(かつ可能なかぎり)即戦力の人材を求めています。そこで、教育・研修機関が雇用主と連携して、時代のニーズに合った人材のための資格や教育・研修カリキュラムを開発する、ということが活発に行われています。また、そのようなプログラムを受講する学習者に対しても、受講料の補助のしくみなどが用意されています。このように、雇用主と学習者(=雇用者)双方に有益な状態を作ることで、社会全体の雇用の改善にも寄与していく狙いがあります。

2)については、これまでの学びのかたちは、大学の「学位」であれ職業能力を証明する「ライセンス」であれ、長い時間と労力、お金をかけてこれらを取得して、はじめて意味のある資格として社会に認められました。それはそれで重要なことですが、終身雇用の習慣の少ない英国はもちろん、働き方が多様化してきた日本においても、よりフレキシブルな学びのかたちが求められているといえます。たとえば、資格のカリキュラムの一部を短期間で受講して、その部分で得たスキルを「サブ資格」のようなかたちで可視化する。英国ではこれを「ユニット」と呼びますが、これ1つでも自分も学びを証明できるほか、他のユニットも少しずつ学びこれらを積み上げることで、最終的にひとつの「フル資格」を取得することも可能になるようなしくみが整備されつつあります。このしくみでは、学習者は時間や予算などを考えながら自分のペースで学習ができますので、最近よく言われる「生涯教育」の促進にも寄与できそうです。

もちろん、このようなしくみを社会で機能させるには乗り越えるべき壁も多いのですが、「雇用」という深刻な社会・経済問題に、「個人の学び」の改革によって社会全体を底上げしつつ対応していく、という英国のスタンスには、学べるところが多いと感じます。私たちの地域資格「地域公共政策士」のフレームワークもはじまったばかりですが、目指す社会像は英国のそれと共通しています。社会を担う人材(=皆さん)を輩出する組織として、大学がどのような学びを提供していくべきなのか、私たちは常に考えています。

なお、この資格のプログラムは学部在籍時からスタートできますので、龍大にいらっしゃったらぜひ皆さんもチャレンジしてみてください。

☆ 写真は同僚が撮ってくれていたのであまりないのですが、左から、バーミンガム中心地の街並み、新たな資格フレームワークの運営を担う全国組織「Ofqual」のオフィス、コベントリーの聖ミシェル大聖堂。

2011年2月14日月曜日

朝の散歩 挨拶 賀茂の川原

矢作 弘

終日、研究室でパソコンに向かっていることが多い。運動不足のために体調が悪くなります。そこで近ごろ、できる限り歩くことを心がけています。

 最初にしたことは、自転車のタイヤの空気を抜いてしまうことでした。どうも意志が弱く、易きに流れがちですので、乗れなくしてしまえば歩くしかない、という非常手段です。

 朝、家から大学(大阪市立大学)まで遠回りをして歩いています。およそ40分の距離です。大和川の河岸を少し早足で歩くのですが、この季節、ヒヤッとする川風が薄っすらと小汗をかいた肌にとても気持ちがよい。行き交う人に「おはようございます」と挨拶をします。それに対する反応の違いがおもしろい。にっこと笑って「はい、おはようございます。よく晴れましたね」などと返事をするひとから、「えぇ? 面識のない私になぜ挨拶を・・」と怪訝な顔付きのまま無言で去っていくひとまでいろいろです。

 調査でニューヨークに行くときは、セントラルパークの近くに宿をとります。朝、散歩をするためです。私の「Good Morning !」の挨拶に対する反応は、大和川河岸の出会いと同じくいろいろなのですが、それとは別にある発見をしました。

 ヘルメットを被り、サングラスを掛けて颯爽と走り去る自転車乗りは、7、8割がイヤフォンか、ヘッドフォンをし、CDか、ラジオを聞いています。ジョッキングをしているひとのイヤフォン/ヘッドフォン率は、5割前後です。歩いているひとになると、その率が2割程度まで低下します。

 ところが犬と散歩をしているひとに、イヤフォンやヘッドフォンをしているひとはいないのです。イヤフォンやヘッドフォンをしているひとは、自分の世界に閉じ篭っているのですが、犬の散歩に付き合っているひとは、きっと飼い犬と会話をしながら歩いているのです。実際に声を発していなくとも、少なくとも心の内では犬と会話をしながら散歩をしているはずです。そのときの心情は、間違いなく外向きなのです。そうした「外交的な」心情が、イヤフォンやヘッドフォンをしないという行動として表出し、可視化されるところがおもしろい。

 自転車乗りに対しては、「Good Morning!」と声を掛けることすらできないのですが、ジョッキングするひとも、こちらの挨拶に対する反応が悪い。犬との散歩は歩いたり立ち止まったり、普通に散歩をしているひとに比べてはるかに歩調は遅いのですが、私の「Good Morning!」には、きっと素敵な挨拶を返してくれます。スピードと挨拶の間に、反比例の関係がありました。

 4月から京暮らしをはじめます。賀茂の川原を朝、散歩をすることにしています。「おはようございます」に、都のひとはどのような反応をするのかしら・・・

2011年2月8日火曜日

新聞記事のその先を読む ―政策を考えることの難しさ―

只友 景士

はじめまして。政策学部ブログ初登場の只友景士(ただとも けいし)です。私は、「経済学」「財政学」「地方財政論」の講義を政策学部で担当する予定です。今日は、講義の合間にお話しする雑談的なお勉強ネタを書こうと思います。

 政策ブログへの初めての投稿は、「新聞記事のその先を読む ―政策を考えることの難しさ―」とします。「新聞記事のその裏を読む」でも良いのですが、「裏読み」や「穿った見方」をするのではなく、報道された事実のその先を考えたいので、「新聞記事のその先を読む」とします。


 その先を読む新聞記事として、「国民健康保険の滞納問題」を取り上げたいと思います。



 2011年2月4日厚生労働省は、「2009年度(平成21年度)国民健康保険(市町村)の財政状況について」を報道機関向けに発表しています。その中で、2009年度の国民健康保険料の収納率が88.01%となり、国民皆保険制度になって以来の最低の収納率を更新したと発表しています。そしてその原因として、「平成20年度(2008年度)以降の景気悪化の影響があるものと考えられる」としています。景気の悪化が、収納率の低下、つまり滞納を増やしていると分析しているのです。国民健康保険世帯の5世帯に1世帯は、納付が困難な状態にあることを示しており、深刻な状況にあると言わざるをえません。国民健康保険財政については、論点は数多くあるのですが、今回のブログではそれら全てに触れることは出来ないので、一点だけこの手の問題を考えることの難しさにだけ触れたいと思います。

2010年12月27日付け朝日新聞に下記のような記事が掲載されていました。


*****(以下は、2010年12月27日付け朝日新聞記事)*****

記事タイトル:子どもいる世帯、国保滞納が悪化 09年度、救済制度導入の影響?

 国民健康保険(国保)の保険料を滞納している世帯を厚生労働省が調べたところ、子どもがいる世帯の保険料収納率が2009年度は前年度より3ポイント以上下がったことが分かった。滞納しても子どもの保険資格は止めない救済制度の導入が影響した可能性もあると、厚労省はみている。国保の保険料を1年以上滞納すると保険証は「資格証明書」となり、医療費は医療機関の窓口でいったん全額払うことになる。だが09年4月からは、中学生以下の子どもには短期の保険証を交付するようにした。今年7月からは高校生相当の年齢にも広げた。
 この救済制度の影響を調べるため、厚労省は、全国から134市区町村を抽出し、資格証明書を出した世帯の08、09年度の納付状況を調べた。

 救済制度の対象となる中学生以下の子どもがいる世帯では、納めるべき保険料総額のうち実際に納めた額を示す収納率が09年度は9・5%で、08年度より3・2ポイント低下した。救済対象外の世帯が1・3ポイントの低下だったのに比べ、大きく落ちている。救済対象の子どもがいる世帯のうち、年間所得が100万円未満は2・4ポイントの低下だったが、所得が500万円以上の世帯だと7・0ポイント下がった。 地域別では、最も収納率が下がったのは近畿の5・6ポイント。関東甲信越は4・3ポイント、中国・四国も4・2ポイント。東海・北陸は0・5ポイントの低 下だった。調査では、市区町村の担当者の4人に1人が「救済制度の影響でモラルハザードが生じた」と回答。「少しずつでも納めるという約束に応じなくなった」との指摘が上がっている。

*****(以上が新聞記事)*****

 

この記事は、少し解説が必要でしょう。この記事は、厚生労働省から発表された報道発表「被保険者資格証明書交付世帯における保険料(税)の納付状況サンプル調査結果」(2010年12月21日付)が記事になったものです。先にみた2009年度国民健康保険財政の全国集計結果(2011年2月4日付)が発表される35日ほど前に発表されてものです。

この報道発表に基づく報道の要点を整理すると

(1)「子どものいる世帯」と「子どものいない世帯」における収納率を2008年度と2009年度と比較した。

(2)比較の結果、子どものいる世帯について2009年度の収納率が低下した。

(3)2009年度の子どものいる世帯の収納率の低下は、2009年度から始まった中学生以下の「子どもへの短期保険証」を交付(2010年7月から高校生以下に拡大された)していることが要因ではないか。

(4)自治体の担当者からは、救済措置の影響でモラルハザードが起きているとの指摘がある。

 厚生労働省の発表によるとこの調査は、2009年度から始まった中学生以下(2010年7月から高校生以下に拡大)の「子どもへの短期保険証」を交付出来るようにした制度改正の際の国会で「滞納を助長するのではないか」と懸念が出されたことから実施したようです。新聞記事の書き方からすると「国会での懸念の通り、滞納を助長した」と言うトーンで書かれていると言っても良いでしょう。

 確かに、滞納は良くないことです。滞納が増えると国保財政は危機に陥り、市町村からの財政援助を増やさなければならなくなります。「市町村の財政も厳しい折に、国保滞納者の増加による国保財政赤字までは負担できない。」との意見も出てくるでしょう。しかし、国民健康保険料の滞納問題を個人の不始末やモラルハザードだけで片付けるのはいささか乱暴で、一面的な議論になってしまうのではないでしょうか。滞納は良くないことですが、「払えるのに払わない人」も「払いたくても、払えなくて払わない人」を同列に扱うことは出来ないでしょう。この問題は、少しばかり複雑で悩ましい問題を抱えています。

 

それでは、国保の置かれている状況を少しみておきましょう。論点は沢山ありますが、今日は三つだけ挙げておきます。

(1)国保加入者の変化

 国保は、国民皆保険制度を維持するための基盤であり、最後の砦です。国保は、農林水産業者と自営業者のための健康保険として創設されましたが、その後の我が国の産業構造の転換などの結果、現在では、無職者が国保加入者の半数を占めるまでに到っていること、65歳以上の加入者が3割を占めるなど制度設立当初からすると現在は、その置かれている環境が大きく変わってしまいました。

(2)国保料負担が重い

 2001年度の少し古いデータですが、一世帯あたりの年間所得額が、国保153万円、政管健保237万円程度、組合健保381万円程度であり、この年間所得を基に算定した保険料率が、政管健保6.7%、組合健保4.6%であるのに対して、国保は10.2%と高くなっています。平均所得が低いために、保険料負担は他の保険制度と比べて相対的に重くなっていることが判ります。

(3)保険証がない人は受診抑制

 また、1987年から滞納者・未納者に対する罰則として、「資格証明書」という制度が導入されました。未納者・滞納者は、国民健康保険証ではなく「資格証明書」を発行されるようになりました。そして、「資格証明書」は、保険証とは異なり、医療機関の窓口で、一旦医療費の全額を支払わなければならない制度です。保険証があれば、医療機関での自己負担が3割で済むのですが、「資格証明書」では、かかった医療費を100%自己負担することになります。保険料を滞納していると医療費の自己負担が3割負担ではなく、全額負担させられることにより、未納状態で3割の自己負担で医療を受けるという制度へのただ乗りを許さないようにしたわけです。保険医協会が「資格証明書の人」と「国保一般加入者」の受診率を調査したところによると、「資格証明書」をもつ被保険者の受診率が、一般被保険者よりも30分の1,100分に1と極めて低いことが判ったそうです。未納・滞納状態にある人たちが、医療にアクセスすることが難しい状態にあることが判ったのです。更に、医療にアクセスできなかったことから病気の治療を受けられず、手遅れになり亡くなったなったという事例も報告されています。滞納者を減らそうと導入された制裁措置が、人の命に関わる問題を新たに引き起こしているのです。(以上のことは、国民健康保険中央会の資料全国保険医団体連合会(保団連)の資料を参照してください。)

 

政策を考える時には、このような悩ましい問題にしばしば直面します。

更に、国保問題の背景には、我が国の貧困問題が横たわっています。

 

◆毎日新聞の「無保険の子」特報から始まった。

 そして、毎日新聞の「無保険の子」特報(2008年6月)(一連の報道で、毎日新聞は2009年度の新聞協会賞を受賞)から変化の動きが始まりました。これまでは、親が国保料を滞納したために保険証を返還させられ、「資格証明書」に切り替えられ、医療費の全額自己負担を強いられるために医療を受診できない「無保険の子」の存在を報じました。この報道から「親が滞納して、無保険状態にある子ども」を救済する目的で、「子どもへの短期保険証」交付が可能となる国保法改正に繋がりました。この救済策の目的は、親の滞納で子どもが無保険になって、苦しまないようにすることにあります。この国保法改正は、子どもの権利を保障する立場からなされた改正であり、子ども施策の大いなる前進だったと言えます。

 

◆「無保険の子」解消と滞納の増加

 一方、国会で「滞納を助長する」と懸念した立場は、国保財政の収支を重視し、滞納による制裁措置が無くなるとこれまで払っていた人が払わなくなるのではないかと危惧していたのです。その危惧は、当たったと言えば当たったわけです。しかし、「これまで払っている人が払わなくなることを危惧する立場」からは、「無保険の子どもを無くす政策論」は出てこないでしょう。なぜなら「これまで払っている人が払わなくなることを危惧する立場」「「滞納を助長する」と懸念した立場」は、子どもの健康や命を取引材料に親に支払いを求める立場であるとも言えます。そうした立場からは、「無保険の子」が出る状態でないとその交渉カードは使えないのです。新聞記事の最後に「調査では、市区町村の担当者の4人に1人が「救済制度の影響でモラルハザードが生じた」と回答。「少しずつでも納めるという約束に応じなくなった」との指摘が上がっている。」と言う記述があります。従来の交渉カードが使えなくなってきたことを示唆しています。この記事からは『「子どもへの短期保険証交付」を止めるとモラルが向上し、収納率が上がるであろう』と言いたそうな感じがします。その様な考えは子どもの健康と命を取引材料にするものだと言えます。「子どもへの短期保険証」交付が可能となったことで、これまで払ってきた人の中から払わない人が出てきたことを収納率の低下の事実は示しています。しかし、収納率低下の事実を逆から考えると「これまでは、子どものために払ってきたのだ」と言っても良いでしょう。子どもを思う親心に依存した徴収方法であるといえます。

 それでは、もしももう一度子どもの健康と命を取引材料にすると何が起きるのでしょうか?子どもの健康と命を取引材料にされて、再度国保料の支払いに応じる世帯もあり、一定収納率の向上も図れるでしょう。しかし、子どもの健康と命を取引材料に保険料の支払いを迫ってもやはり支払いに応じない親の存在は最後まで問題として残るでしょう。そんな親の子どもは、永遠に無保険の子どものままであり、医療を受診できないために健康と命の危機の中で生きていかなければなりません。それでは、無保険の子どもの苦しみは救えません。

 

◆新聞記事のその先を読む-政策を考えることの難しさ-

 「子どものいる世帯の保険料収納率の低下」という現象だけをみても、「子どもの健康と命を取引材料に、保険料収納率の向上と財政の収支問題を重視するのか」、それとも「保険料収納率の低下の裏に隠れている「無保険の子ども」問題を重視し、子どもの命と健康を取引材料ではなく達成目標にするのか。」と着眼点が異なると導き出される政策論は天と地ほど違ってくるのです。詳しくは別の機会に譲りますが、「子どもへの短期保険証」を交付する政策は、子ども自身を政策ターゲットに据え、子ども自身のケイパビリティ(生き方の幅)を保障しようとするものです。従来の国保政策が、財政収支の均衡化を図ることに重点を置き、受益者負担を強化したり、滞納問題を保険料負担義務者への「制裁措置」で解決を図ろうとして、子どもまで巻き添えにしていた状況から子どものケイパビリティ保障の政策に転換した訳でその意義は大きいと思います。まさに、そこに「新聞記事のその先を読む-政策を考えることの難しさ-」があるのです。

2011年2月4日金曜日

政策学部クラスサポーターが決まりました

事務室

こんにちは。政策学部設置事務室の鈴木です。


2月に入り、4月に向けた準備もいよいよ慌ただしくなってきました。
帰りが遅くなると、夜の深草キャンパスを見ることができます。


地面が光るんですよ。
ライトアップされて、おしゃれな雰囲気を味わえます。
 
おすすめの時間帯です。よかったら見に来てくださいね。


さて、2月2日、
第1回クラスサポート委員会が開催されました。
 
 
クラスサポーターとは、「基礎演習」の参加を通して、
先生方と連携しながら1年生をサポートする先輩たちのことです。


政策学部のクラスサポーターを募集したところ、
母体である法学部の学生からたくさん申し込みがあり、
最終的に45名のクラスサポーターが決定しました。


会議の様子。
職員の斎藤さんの説明に、みなさん真剣に耳を傾けています。 
  


2001年に法学部で誕生したクラスサポーター制度。


もう10年経つんですね。


大学生活が始まって不安だったり、戸惑ったとき
アドバイスや相談にのってくれた先輩のようになりたいと
クラスサポーターを志望する学生は年々増えています。
過去の先輩たちのおかげです。


2011年度のクラスサポーター委員長の大年くん。
1年間よろしくお願いします。
 
 
クラスサポーターは、
先生方や私たち職員と同じ、「チーム政策」の大事なメンバーです。
 
 
大学生活のスタートを担う「基礎演習」で
政策学部を盛り上げていきます。


4月1日、第1期生に会えるのがとても楽しみです。

2011年2月1日火曜日

フィールドワークの味わい深い楽しみ

清水 万由子

はじめまして。環境社会学を担当する清水万由子です。

寒い日が続きますね。みなさん、風邪など引いていませんか?
雪による事故や被害も起きていると聞きます。
早く、穏やかな春を迎えたいものですね。

さて、みなさんは何をしている時がいちばん楽しいですか?

友達とのおしゃべり。
スポーツに打ち込む。
おいしいものを食べる。

いろいろありますよね。
今の私にとって、いちばん味わい深い楽しみは・・・と考えると、やはり「フィールドワーク」でしょうか。

私は主に、地域の環境保全や自然資源管理などに、多様な人が 関わるための仕組みについて研究しており、フィールドワークの多くは、地域の方への聞き取り調査(インタビュー)です。
最近は、石垣島のサンゴ礁保全や兵庫県豊岡市のコウノトリ野生復帰の取り組みの調査を始めています。

フィールドワークとは、現地調査のこと。
実際に、研究対象とする地域に足を運び、その土地の風景を見ながら、土地の人に話を聞かせてもらって、彼らが食べるものを食べ、彼らが飲むものを飲む。
これが、フィールドワークの楽しみを味わう第一歩です。


石垣島の郷土料理です。サンゴ礁の海の恵み、野菜やお米なども自家製です。
昔から儀式のときに食べられてきた食事などもあり、作り方を聞きながら頂きました。

とは言っても、事前に下調べをして調査計画を立てて行きますので、あれこれと聞きたいこと、調べたいことを頭に入れて行くわけです。
日々の生活に忙しい人たちに時間をとってもらい、彼らにとっては「役に立たない」ことまで根ほり葉ほり聞く。これはなかなか勇気の要ることです。
しかも現地に行ってみると初めてわかることが多く、ピントがずれてた…?なんてことも少なくありません。時には、地域の方からの厳しい批判にさらされることもあります。
ここから、フィールドワークの苦しくも味わい深い楽しさが始まります。

現地で興味を引かれたことを書き出してみる。
当初想定していた状況と違った理由を考えてみる。
自分が知りたいことは何か?もう一度、初心に戻って考える。
現実と自分の頭とを行ったり来たりして、次の調査計画を立てたり、論文にしたりします。

外から訪ねて行って少し話を聞いただけの自分に何がわかるの?とウジウジすることもありますが、忙しいなかをインタビューに応じてくださった方々の顔を思い浮かべながら、アウトプット(論文、発表、現地の方への説明等々)に向かって自分を奮い立たせています。

何度も現地に足を運び、いろいろな人と話をして、少しずつ「大事なこと」をつかんでいく過程は、きっと地域の方々との共同作業のようなもの。
みなさんと一緒に、そんな研究をしていけたらいいなと思います。

 

兵庫県立コウノトリの郷公園で飼育されているコウノトリ。(今は鳥インフルエンザ予防のため、隔離されています。)
コウノトリが野外で暮らせる環境をつくろうと、有機農業や環境再生(湿地造成など)が取り組まれています。